竹添進一郎とは? わかりやすく解説

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たけぞえ‐しんいちろう〔たけぞへシンイチラウ〕【竹添進一郎】

読み方:たけぞえしんいちろう

[1841〜1917外交官漢学者肥後天草生まれ。号、井井(せいせい)。明治15年(1882)朝鮮弁理公使甲申(こうしん)の政変関与。のち、東大教授。著「左氏会箋(かいせん)」など。


竹添進一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 09:45 UTC 版)

竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日天保13年3月15日〉- 1917年大正6年〉3月31日[1]は、日本外交官漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した[2]甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者[3]


  1. ^ a b c d e f 『異風者伝』63-68頁
  2. ^ 『熊本の人物』198頁
  3. ^ a b c d 『熊本県近代文化功労者』189-196頁
  4. ^ 『熊本県大百科事典』528頁
  5. ^ 明治期ドイツ留学生,橋本 春(Hashimoto Hasime) の生涯金田昌司、経済学論纂(中央大学)第52巻 4号、2012年3月22日
  6. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  7. ^ a b 『官報』第1399号「叙任及辞令」1917年4月4日。


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竹添進一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 20:10 UTC 版)

明成皇后 (テレビドラマ)」の記事における「竹添進一郎」の解説

甲申政変のときの日本公使

※この「竹添進一郎」の解説は、「明成皇后 (テレビドラマ)」の解説の一部です。
「竹添進一郎」を含む「明成皇后 (テレビドラマ)」の記事については、「明成皇后 (テレビドラマ)」の概要を参照ください。

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