突然のイップスと現役引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/02 15:38 UTC 版)
「スティーブ・ブラス」の記事における「突然のイップスと現役引退」の解説
しかし、1973年になるとブラスは突然の制球難に見舞われる。同年は1年間メジャーに帯同したものの23試合に登板して3勝9敗、防御率9.85と大不振に陥り、特に88.2回を投げて96与四死球と極度の制球難に陥った。1974年になると制球難はより悪化し、メジャーでは1試合にロングリリーフで登板したのみで5回を投げて与四球7、シーズンのほとんどを過ごした傘下AAA級チャールストン(英語版)では17試合に先発するも2勝8敗で防御率11.51、61イニングを投げて119与四死球という散々な成績に終わり、同年に現役を引退した。引退後、ブラスの現役時の苦難はスポーツライターだったロジャー・エンジェル(英語版)によってエッセイとして記録され、雑誌ザ・ニューヨーカーに掲載された。 その後、同様の症状に見舞われた投手がブラスの名前から「スティーブ・ブラス病」という名称で呼ばれるようになった。後に「イップス」と呼ばれる症状である。 ブラス自身のイップスの原因については様々な推測がなされ、一説としてはチームメイトであったロベルト・クレメンテが1972年の年末に乗機したニカラグア行きのチャーター機が墜落する航空事故に巻き込まれ墜落死したことによる悲しみが原因ではないかともされたが、これは後にCBSのインタビューによって否定されている。
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