空閑昇とは? わかりやすく解説

空閑昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 18:25 UTC 版)

空閑 昇(くが のぼる、1887年明治20年)12月8日 - 1932年昭和7年)3月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐


  1. ^ 空閑より14歳下の1901年6月生まれで四川省酆都中国語版(現重慶市)出身[5]、32年駐日本公使館附武官を経て36年に歩兵上校となり日中戦争勃発直前の37年6月に参謀本部員[6]となるも開戦後の経歴は不明。なお国民政府広報第138号によれば第一次上海事変当時は中校との事[7]
  1. ^ a b 秦(1998)、P.44
  2. ^ 秦(1998)、P.33
  3. ^ a b c d 秦(1998)、P.34
  4. ^ a b c 秦(1998)、P.35
  5. ^ 軍事委員會銓敍廳. “陸海空軍軍官佐任官名簿第1巻 part1” (中国語). 臺灣華文電子書庫. pp. 230. 2018年2月27日閲覧。
  6. ^ 国民政府広報第2383号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年2月28日閲覧。
  7. ^ 国民政府広報第138号 (PDF)” (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年2月28日閲覧。
  8. ^ a b c 秦(1998)、P.36
  9. ^ a b c 秦(1998)、P.42
  10. ^ a b c d 秦(1998)、P.39
  11. ^ 秦(1998)、P.38
  12. ^ a b 秦(1998)、P.43
  13. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。


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空閑昇

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軍国美談」の記事における「空閑昇」の解説

空閑少佐上海事変において悲壮な戦死遂げた報じられたが、実際に重傷負って捕虜とされており、捕虜交換日本側に引き渡され二日後にピストル自殺遂げた。このいきさつが「上海事変最大悲劇」などと報じられ、これを題材とした映画1932年に5本も上映された。

※この「空閑昇」の解説は、「軍国美談」の解説の一部です。
「空閑昇」を含む「軍国美談」の記事については、「軍国美談」の概要を参照ください。

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