くうや【空也】
読み方:くうや
[903〜972]平安中期の僧。空也念仏の祖。生地・出自など未詳。諸国を巡歴して南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)を唱え、教化(きょうけ)に努めながら道・橋・寺などを造り、市(いち)の聖(ひじり)・阿弥陀聖(あみだひじり)とよばれた。京都に西光寺(のちの六波羅蜜寺)を建立。光勝(こうしょう)。こうや。→空也忌
こうや【空也】
読み方:こうや
⇒くうや(空也)
空也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/20 19:59 UTC 版)
空也(くうや[注 1])は、平安時代中期の僧。阿弥陀聖(あみだひじり)[1][注 2]、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも称される。
注釈
- ^ 「こうや」とも称される。
- ^ ただし、阿弥陀聖は、念仏を勧める聖の総称としても用いられた[1]。
- ^ 京都市中京区の空也堂極楽院を中心とする一派が天台宗空也派と称されるが、独立した宗派、あるいは天台宗内で公認された流派ではない。
- ^ 有名な興願僧都宛消息文に、空也の言葉と伝えるエピソードの引用がみえる(一遍#思想と評価参照)。また『一遍聖絵』には、空也の遺跡とされる平安京東市の故地(現在の西本願寺付近)を訪れ、大々的に踊念仏を催した様が描かれている。岩波文庫(大橋俊雄校注、2000年)や、『一遍上人全集 一遍聖絵 他』(春秋社、2001年)を参照。
- ^ 『空也誄』…空也の没後間もなく源為憲によって書かれた伝記。『空也上人誄』とも。
- ^ 増長天像は鎌倉時代の後補。
出典
- ^ a b c 『岩波仏教辞典』中村元ほか(編)(第二版)、岩波書店、2002年10月、19頁。
- ^ 石井 2002, pp. 547–555.
- ^ 青鉛筆『朝日新聞』1978年(昭和53年)2月4日朝刊、13版、19面
- ^ a b “開山の空也上人”. 六波羅蜜寺. 2022年6月16日閲覧。
- ^ 『国史大系尊卑分脉 第三篇』(吉川弘文館、1961年)27頁
- ^ 堀 1963.
- ^ 石井 2002.
- ^ 図解仏教成美堂出版118頁
- ^ “空也踊躍念仏【六波羅蜜寺】”. 京都市観光協会. 2022年6月16日閲覧。
- ^ 国指定文化財等データベース - 指定番号(登録番号):01987
- ^ 六波羅蜜寺 > 重要文化財一覧 > 空也上人立像
- ^ 国指定文化財等データベース - 指定番号(登録番号): 00649
- ^ 国指定文化財等データベース - 指定番号(登録番号): 00980
- ^ 国指定文化財等データベース - 指定番号(登録番号): 01987
空也(くうや)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:44 UTC 版)
歌舞伎町のホストクラブ「エルドラド」のNo.1ホスト。エルドラドでトップを獲るということは、全国のホストの頂点に立つことを意味し、ホスト界の帝王と呼ばれる。ホストならではの人脈を活かし、たびたび晶たちに協力する。
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空也(くうや)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
脇差〈銘 村正/銀象嵌銘 空也〉、一尺三寸二分。裏の銀象嵌銘の「空也(くうや)」とは、二代兼定「人間無骨」(森長可愛槍)と同じく、人の骨肉など、この村正の前では実体もなく空(くう)に等しい、と、所持者が斬味を礼賛したもの。押形『三重県刀工・金工銘鑑』所載。
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空也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:59 UTC 版)
空也(903年-972年)は、念仏を唱えながら各地で道を作り、橋を架けるなど社会事業に従事しながら諸国を遊行する。同時に庶民に対し精力的に教化を行い、庶民の願いや悩みを聞き入れ、阿弥陀信仰と念仏の普及に尽力する。空也は、「市聖」(いちひじり)・「阿弥陀聖」と呼ばれる。空也は踊念仏の実質的な創始者でもある。
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