穆如清風(ぼくじょせいふう)
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「生駒藤之」の記事における「穆如清風(ぼくじょせいふう)」の解説
生駒は中国最古の詩集である『詩経』の「大雅・蕩之什・烝民」より穆如清風を引用して、比奈富士岡連合小学校に「穆清舎」という名を与えた。穆如清風とは「穆として清風の如し(穏やかで清風のようだ)」という意味である(穏やかで清風のような人間になりなさい、というのは誤訳)。その文脈は以下の通りである。 四牡騤騤 四牡騤騤しぼききたり(四頭の牡馬は休みなく引き続いて行く) 八鸞喈喈 八鸞喈喈はくらんかいかいたり(八の鈴は和らいで、調子が揃って響がよい) 仲山甫徂齊 仲山甫齊ちゅうざんぽさいに徂いく(仲山甫は斉の国に行くが) 式遄其歸 式もって其その歸きを遄すみやかにす(城晋請が終ったら、速やかに帰ってほしい) 吉甫作誦 吉甫誦きっぽしょうを作つくる(尹吉甫が詩を作って贈る) 穆如清風 穆ぼくとして清風せいふうの如し(おだやかな清風の風が、人々の心を和らげる) 仲山甫永懐 仲山甫永く懐おもう(永く仲山甫の心を懐い) 以慰其心 以もって其その心を慰いす(仲山甫の心をなぐさめる)
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