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きむら-かいしゅう ―かいしう 【木村芥舟】

(1830-1901) 江戸末期軍艦奉行。名は喜毅。舟は号。江戸の浜奉行の家に生まれる。1860年遣米使節の咸臨(かんりん)丸の司令官として太平洋横断


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木村芥舟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/28 11:06 UTC 版)

木村 芥舟(きむら かいしゅう) 文政13年2月5日1830年2月27日 - 明治34年(1901年12月9日)は、幕末期の幕臣官位摂津守兵庫頭喜毅(よしたけ)。天模。別の楷堂がある。通称は勘助、図書。


  1. ^ 藤井哲博 『咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノクラート』 中央公論社〈中公新書〉、1985年10月。ISBN 4-12-100782-4
  2. ^ 山岡鉄舟口述 『山岡鉄舟の武士道』 勝部真長編、角川書店〈角川文庫 角川ソフィア文庫〉、1999年9月、268頁。ISBN 4-04-348501-8
  3. ^ ブルック等が帰国のために咸臨丸に便乗したというのは誤りである。
  4. ^ 当初、留学先にはアメリカを予定していたが南北戦争勃発により果たせなかった。
  5. ^ この構想は明治に入ってから連合艦隊として結実する。
  6. ^ 明治27年(1894年)10月5日付けの木村浩吉宛書簡は以下のとおりである。該当する箇所に下線を付して示す。

     御軍役御苦勞千萬と存候。過日海洋島の激戰は別しての御事に御座候。新聞紙にて承知、御留主宅へも御書状により御隱居樣より拜承仕候。尚此上とも勇を鼓して御奮戰を祈るのみ。我邦榮辱の分るゝ所、拔群の御働呉々も奉待候。將又御留主宅の義は及ばずながら御心添仕る積り、萬々一御討死も相成候はゞ、御兩親樣の處は老生の生涯中屹度御引受申上、御不自由なき樣可致兼て覺悟に付、其邊御心安く思召被下度候。小包郵便にてつくだにと甘名納少々差上候。御笑留被下候はゞ本懷の至りに奉存候。右御尋問まで申上候。餘は凱戰萬歳の時を期し候。匆々頓首。

    福澤諭吉, 福澤諭吉全集』第18巻617頁



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