科学技術省大臣
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1994年6月27日、省庁制が発足し村井は科学技術省大臣(筆頭次官は渡部和実)となる。科学技術省は翌年の地下鉄サリン事件の実行役となる林泰男、横山真人、広瀬健一、豊田亨らも所属する巨大部署であった。同日、部下と共に製造したサリン噴霧車で松本サリン事件を実行した。 1994年8月にオウムの信者がよく被っていたことで有名なPSI(ヘッドギア)の開発により正大師に昇格。教団の最高幹部の地位に上り詰めた。 1995年2月28日の公証人役場事務長逮捕監禁致死事件には麻原への連絡役として参加。1995年3月18日、公証役場事務長事件による強制捜査の対策を考えるため麻原、井上嘉浩、遠藤誠一らと共にリムジン謀議に出席、地下鉄にサリンを撒くことを提案。地下鉄サリン事件の総指揮をとった。 1995年3月22日の強制捜査後は教団が報道される中で、麻原の「大天才科学者の雰囲気でけむに巻け」「どんどんホラを吹いてこい」との指示によりスポークスマンとしても登場し、第7サティアン内のサリンプラントは農薬DDVP工場であったとの主張をした。同時に警察の捜査撹乱のため中川智正らにテロを指示し、新宿駅青酸ガス事件、都庁爆弾事件のきっかけをつくる。
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