秋山信友(あきやま のぶとも) 1531~1575
秋山虎繁
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秋山 虎繁(あきやま とらしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐国武田氏家臣で譜代家老衆。武田信玄・勝頼期に活動が見られる。武田二十四将にも数えられる。
注釈
- ^ 「尾州織田信長、東濃州出張之由申来候間、早々彼地懸向、追拂尤候、遠三両国之事者、別人申付候間、其心得尤候也、仍如件、三月六日 信玄(花押) 秋山伯耆守とのへ」
出典
- ^ a b c d e f g h 平山 2008, p. 294
- ^ a b c d e f g h i j 丸島 2015, p. 21
- ^ 黒田基樹「秋山伯耆守虎繁について」 『戦国遺文 武田氏編 第2巻月報』、2002
- ^ 諸州古文書 - 655
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 丸島 2015, p. 22
- ^ a b 平山 2002, p. 55
- ^ a b c d e f g h 平山 2008, p. 295
- ^ 平山 2008, pp. 294–295.
- ^ 『信長公記巻三』
- ^ 丸島 2008, p. 44.
- ^ 『武田信玄判物』(宮帯文庫所蔵文書)[注釈 1]
- ^ a b c d e f g h i j 丸島 2015, p. 20
- ^ a b c d e f 丸島 2013, p. 224
秋山信友(あきやま のぶとも)
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「センゴク」の記事における「秋山信友(あきやま のぶとも)」の解説
通称は伯耆守、若い頃は膳右衛門と称していた。武田家の重臣の一人。ニヒルな性格で山県昌景には「ムッツリ」と呼ばれているものの、戦場では猛牛のような働きをする事から勝頼からは「牛友」と呼ばれる。対織田戦線では織田信長を引き付けるために、信長の居城・岐阜城の備えである岩村城を長年に渡って包囲。城主だったお艶の方を降伏、籠絡して信長を挑発する。信玄の死後は跡を継いだ勝頼の教育に務め、主に美濃方面で織田家への撹乱の役目を担う。
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