ぎふ‐じょう〔‐ジヤウ〕【岐阜城】
岐阜城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 08:38 UTC 版)
岐阜城(ぎふじょう)は、美濃国井之口の稲葉山(岐阜県岐阜市の金華山)にあった日本の城(山城)。もとは稲葉山城と言い、鎌倉時代以来の歴史があり[1]、本格的に整備されたのは戦国時代の斎藤道三の時期だと考えられ、織田信長が1567年の稲葉山城の戦いにより斎藤龍興から奪取し、本拠地を小牧山から当城へと移し、その縄張りを破却して新たに造営したものが岐阜城である。『信長公記』に「尾張国小真木山より濃州稲葉山へ御越しなり。井口と申すを今度改めて、岐阜と名付けさせられ」と記載されており、ここから天下布武、天下統一をおこなうという意味をこめて、信長が山頂にある城や麓にある町などを「井口」から「岐阜」へと改名したことにより「岐阜城」と呼ばれることになった。[2]
- ^ [1]
- ^ なお、稲葉山(井口山)からの続きが瑞龍寺山という。
- ^ a b c 岐阜市「国史跡 岐阜城跡について
- ^ 金華山城訳、明治時代建設の模擬城(昭和18年2月18日 毎日新聞(大阪)夕刊)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p125 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 史跡等の指定等について (PDF) 文化庁、2010年11月19日
- ^ 「岐阜城跡」の国史跡答申について 岐阜市役所、2010年11月29日
- ^ 官報 平成23年(2011年)2月7日付(号外 第24号)
- ^ 国内最古か…織田信長の居館跡から金箔瓦が出土:読売新聞(2012年11月26日)
- ^ “「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜”. 文化庁. 2020年9月20日閲覧。
- ^ 三浦正幸監修『【決定版】図説・天守のすべて』学習研究社、 2007年
- ^ 宮上茂隆作『復元模型 安土城』草思社、 1995年
- ^ 西ヶ谷恭弘監修『復原 名城天守』学習研究社、 1996年
- ^ 参考資料:金華山頂に見る岐阜古城跡天守閣、岐阜県図書館「郷土絵葉書・写真等 デジタルライブラリー」
- ^ 国土交通省位置参照情報ダウンロードサービスによる。
- ^ “岐阜城”. 岐阜市役所 (2018年11月2日). 2019年1月27日閲覧。
- ^ a b 2019年8月29日付 読中日新聞朝刊岐阜県版16面
岐阜城
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岐阜城と崇福寺 関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍に加勢した織田秀信は岐阜城に立てこもるが、落城時に最後まで生き残った家臣38人は切腹した。家臣を弔うため、切腹した場所の床板を崇福寺の天井に貼られたといわれる。
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