福永洋一について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:50 UTC 版)
福永洋一は中央競馬で1968年に騎手としてデビュー、1970年から1978年まで9年連続リーディングジョッキーを獲得(2014年現在も歴代最長タイ記録)したほか、1978年には131勝をあげ、当時の年間最多勝記録を更新するなど「天才」と呼ばれるほどの活躍をみせていたが、1979年3月に行われた「第26回毎日杯」で競走中の落馬事故により頭部に重傷を負い、これ以降復帰は叶わず1981年に引退。2004年にはその功績を讃え騎手顕彰者に選出され、中央競馬の殿堂入りを果たした。 1948年に高知県で7人兄弟の末っ子として生を受けた洋一は母親を知らずに暮していたが、放浪癖のある父親が急逝したため、身寄りを求め姉が嫁いだ高知競馬の騎手・松岡利男のもとを頼る。松岡家で暮らすようになった洋一も競走馬の世話に明け暮れた。 2人の兄(福永甲、福永二三雄)が騎手だったこともあり自らも騎手を志した洋一は中学2年の冬に高知を発ち、甲の師である武平三の下で暮らす。翌年、中学を卒業した洋一は平三の息子武永祥と共に東京の馬事公苑騎手養成所へ入所。卒業後は前述の通り中央競馬で活躍し、騎手顕彰者にまで選ばれた。現役時代には妻に「歳を取ったら高知に住みたい」とも語っていた。 詳細は「福永洋一」を参照
※この「福永洋一について」の解説は、「福永洋一記念」の解説の一部です。
「福永洋一について」を含む「福永洋一記念」の記事については、「福永洋一記念」の概要を参照ください。
- 福永洋一についてのページへのリンク