神流川合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 13:55 UTC 版)
天正10年6月2日の「本能寺の変」で、織田信長が明智光秀によって殺害されたことにより、武蔵国(埼玉県)を領地とする北条と、上野国(群馬県)を領地とする織田との関係が険悪になった。6月18日・19日の両日に、鉢形城主(寄居町)北条氏邦・小田原城主(神奈川県)北条氏直の連合軍と、織田信長の家臣である滝川一益・上野国衆(群馬県の武将)の連合軍との間で、当時「ひさいと原」と呼ばれた毘沙吐周辺で、激しい戦が行われた。これを「神流川合戦」と呼ばれている。このとき滝川一益に攻められて金窪城が消失したといわれている。対岸の新町には「神流川古戦場之碑」があり、合戦の様子が書かれている。ほかにも、上里中学校と上里北中学校の校歌を作詞した「風と光の詩人」宮澤章二が「消えてしまった村-毘沙吐」として一編の詩を読んでいる。
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