神山復生病院の設立とは? わかりやすく解説

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神山復生病院の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 16:59 UTC 版)

ジェルマン・レジェ・テストウィード」の記事における「神山復生病院の設立」の解説

テストウィード神父は、1880年明治13年)より西関東東海道地方宣教担当しその範囲愛知岐阜県及んだ1884年明治17年)には静岡市鷹匠町布教所を設立、ここを拠点藤枝浜松方面をも巡回し、翌1885年明治18年)には沼津にも布教所を設立した。 この巡回伝道旅行中足柄街道筋水車小屋30歳ぐらいの盲目女性ハンセン病患者出会い療養所設立決意する1883年明治16年)の春、御殿場鮎沢現在の御殿場市新橋)に家屋借用して6名の患者収容するモロカイ島ハンセン病患者世話していた司祭のヨセフ・デ・ブーステルから調達した。またブーステルの紹介ハンセン病治療医の後藤昌直知り合いとなり、新薬分けてもらった。 1888年明治21年)、静岡県駿東郡富士岡村神山現在の御殿場市)に土地購入し、翌1889年明治22年5月新たな診療所設立し患者20名を収容する。彼は上司診療所設立許可を願うにあたり「らい患者現世苦しみによって永遠の生命を得ることができたら苦しみも又幸せとなるでしょう。そのために病院を建て、そのこと教えたい思います。こうして彼らは肉体救いと共に魂のたすかりを得ると思います」と説明した。彼はこの診療所に「主における復活の意味で「神山復生病院」と命名、これが日本最初ハンセン病療養所となった詳細は「神山復生病院」を参照

※この「神山復生病院の設立」の解説は、「ジェルマン・レジェ・テストウィード」の解説の一部です。
「神山復生病院の設立」を含む「ジェルマン・レジェ・テストウィード」の記事については、「ジェルマン・レジェ・テストウィード」の概要を参照ください。

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