社会教育と生涯教育の提唱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:24 UTC 版)
「井上円了」の記事における「社会教育と生涯教育の提唱」の解説
哲学による文明開化を志向していた円了は、様々な理由で大学教育を受けられない「余資なく、優暇なき者」でも学べる場を作るべきであるという考え方から1888年(明治21年)には「館外員制度」を設け、「哲学館講義録」を発行していた。これは日本における大学通信教育の先駆けである。また、哲学館事件を経て、円了は西洋のように学校教育が終了した後も自由に学問を学ぶことが重要であるとの考え方から日本全国を行脚し、各地で哲学と妖怪学の講演会を行うようになった。これは生涯教育の提唱であり、波多野完治の提唱よりも早い段階での実践であった。円了の提唱した生涯教育は「哲学館講義録」と連携して、日本各地のみならず中国大陸などにも「館外員」を増やすこととなった。
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