矢倉沢往還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 19:02 UTC 版)
矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)は、江戸時代に整備された街道で、江戸城の赤坂門(赤坂見附)から相模国、足柄峠を経て駿河国沼津宿を結び、東海道の脇往還としても機能していた。
- ^ 伊勢原市『広報いせはら 946(平成21年7月1日)』「江戸時代の大山道(主要8道)」を参考。
- ^ いずれも現在の山北町に所在する。
- ^ 現在の箱根町の仙石原地区(旧仙石原村)。箱根裏街道(現在の国道138号)に置かれた。
- ^ 渡辺(1971)、23頁。
- ^ 松田町(大井松田IC)から沼津市(沼津IC)にかけての区間は同街道ではなく、足柄峠の北側の御殿場市を通るルートで整備された。
- ^ a b 中平龍二郎著「ホントに歩く大山街道」には宿場として紹介されているがその他に宿場と紹介されているものは見ない。
- ^ バス停など地元では大ヶ谷戸と表記されているが「ホントに歩く大山街道」にはこう表記されている。
- 1 矢倉沢往還とは
- 2 矢倉沢往還の概要
- 3 脚注
矢倉沢往還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 09:27 UTC 版)
詳細は「矢倉沢往還」を参照 江戸から大山への経路として代表的なものである。矢倉沢往還の街道は、律令時代より東海道の本道にあたり、鎌倉時代に湯坂道(箱根峠)が開かれるまで官道として機能していた。江戸時代に入って大山講が盛んになる享保年間から、江戸から大山へ、あるいは足柄から大山への道としても機能する。急峻な箱根峠に対して足柄峠は緩やかであり、また、江戸-沼津間の短絡路であったために、東海道の脇往還としても発達した。神奈川県内の区間は大正時代になると県道1号線に指定され、後に国道246号となり、幹線道路として機能している。
※この「矢倉沢往還」の解説は、「大山道」の解説の一部です。
「矢倉沢往還」を含む「大山道」の記事については、「大山道」の概要を参照ください。
矢倉沢往還と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 矢倉沢往還のページへのリンク