真島が関係した製紙会社各社のその後と大王子製紙とは? わかりやすく解説

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真島が関係した製紙会社各社のその後と大王子製紙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 07:56 UTC 版)

真島襄一郎」の記事における「真島が関係した製紙会社各社のその後と大王子製紙」の解説

蓬莱社製紙部 真島23歳初め製紙かかわった会社。のちに真島自身所有する会社となり一時景気良かったがやがて経営難となり、1882年明治15年8月住友売渡し岡本健三郎社長に大阪製紙所に変わる。大阪製紙所は1883年明治16年12月近江商人下郷傳平所有移り下郷製紙所のち中之島製紙株会社となり、1920年大正15年中之島製紙樺太工業吸収合併され、樺太工業1923年昭和8年)、王子製紙吸収合併される。 三田製紙所 有恒社蓬莱社抄紙会社とならび日本の製紙の黎明期会社一つ中之島時代真島景気良かった1880年明治13年)、真島はこれを買収して真島第二製紙所とする。1882年明治15年)には元の経営者左衛門売り戻すが三田製紙所そのまま再開されることはなく終わる。 水谷紙料会社 真島富士製紙株式会社に入る前、浪人時代に関わったとされる会社1887年明治20年四日市製紙株式会社となり、1920年大正9年富士製紙吸収合併される。富士製紙1923年昭和8年)、王子製紙吸収合併される 富士製紙株式会社 1887年明治20年)の創立時真島が監工(工場長)として参加した会社王子製紙日本一製紙会社の座を争うが1923年昭和8年王子製紙吸収合併される。 真島製紙所 1894年明治27年真島創立した会社1895年明治28年合資会社真島製紙所となり、出資を受け真島経営のまま1898年明治31年大阪製紙株会社改組する。1910年明治43年)、真島の手離れて野田吉兵衛経営野田製紙所となるが、1915年大正4年野田製紙所を富士製紙譲渡する真島建てた工場富士製紙神崎工場となるが富士製紙もまた1923年昭和8年)、王子製紙吸収合併される。現在の王製紙神崎工場である。 前田製紙株式会社 1898年明治31年)には著名な勧業奨励家の前田正名北海道に紙パルプ製造事業立ち上げることを考える。1899年明治32年)、前田富士製紙技術援助求めるが新工場建設中富士製紙には余裕がなく、真島襄一郎紹介する真島は話を聞き工場設計および技術指導ならば引き受けて良い答え前田工場建設権限真島移譲する真島1899年明治32年秋に北海道視察し部下技師塚本文三郎に前田新工場建設任せる。しかし前田用意できた資金少なく塚本予算不足悩みながらも建設進め真島女婿の幸次郎派遣しこれを援助させ1901年明治34年5月めでたく開業する真島はさらに技術者送り込む設備改善するにも資金がなく良質なパルプ製造にはこぎつけなかった。前田はついに前田製紙としての事業あきらめ富士製紙出資求めて1902年明治35年北海紙料株式会社として組織変えする。1906年明治39年)、北海紙料株式会社富士製紙買収される

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