真人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 08:07 UTC 版)
庄屋新右衛門が大割元と結託し私欲を満たし、それに不満を抱いた村民が小千谷陣屋へ訴えた事件。 新右衛門が勤める以前の長兵衛が勤めていた間は、庄屋と百姓との関係も良好で年貢もきちんと納められていた。しかし、享保の間に新右衛門に代わると村の生活状態は一変した。彼の暴挙の例を1つ挙げる。1740年(元文5年)、昔からの行事として真人の上野島村・中山村の地蔵堂で7月23、24日に行われていた地蔵会を「地蔵堂に花をあげたり、仕事を休むことは許されない」と告げ村人たちはそれをやめた。しかし、新右衛門の地元である本村・石名坂村・中山村の三カ村の氏神諏訪大明神では、以前からの行事を続け、1743年(寛保3年)からは新しい祭りを始めた。更に彼の暴挙は止まらず三カ年の祭礼費用を真人の十七カ村に課した。 しかし、彼の独裁ともいえる行為に痺れを切らした村民は1746年(延享3年)に小千谷陣屋に訴え出た。村民が訴えた罪状は13ヵ条に上った。ただ、その時の史料が残っていないので、どういった処置が施されたかは不明である。 1748年(寛延元年) - 箱訴事件。大割元野沢平太兵衛が訴えられる。
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