相対会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 00:17 UTC 版)
小倉清三郎と小倉ミチヨによる「相対会」も、当時のエログロナンセンスのムーブメントの一つとして特筆される。小倉清三郎は1913年より雑誌「相対」を刊行し、性の研究に情熱を注ぎ、「自慰」の言葉を生み出した。 雑誌「相対」は相対会の会員にのみ配布された雑誌で、表では流通できないため、地下流通である。相対会には相当な人数が入会していたとされ、戦後に公開されたリスト『相対会第一組合特別会員と恩人』には、芥川龍之介や大杉栄などそうそうたるメンバーの名前が並ぶ。「相対」に掲載された性体験のレポート『赤い帽子の女』は、芥川龍之介の作品だという説がある。 小倉清三郎は1933年に逮捕。小倉ミチヨも1936年に逮捕され、精神病院に収監される。1941年に清三郎が死去した後、ミチヨが後を継ぎ、1944年まで細々と活動した。 なお、「相対」は戦後に復刻されるが、ミチヨは1957年に猥褻文書販売でふたたび逮捕され、失意のまま精神病院で亡くなった。1990年代以後に河出書房新社によって「相対レポート・セレクション」として改めて復刻が行われている。
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