白根金山の隆盛とは? わかりやすく解説

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白根金山の隆盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/27 00:19 UTC 版)

白根金山」の記事における「白根金山の隆盛」の解説

星川正甫による南部藩史書公国志』のうち「食貨志」では白根金山盛況記述している。『祐清私記』や「食貨志」によると、金山奉行北十左衛門は、大阪をはじめ上方各地問屋定め米代川下して能代港輸送し金銀上方取引していたという。南部利直駿府徳川家康領内産金のことを報告し白根千枚砂金50斤を献じ、『南部史要』では慶長17年江戸南部邸の茶会徳川秀忠白根50駿馬2頭を献じた記されている。「食貨志」では鹿角諸山産金量は明らかでないが「其の数量り知るべからず」、「慶長十三年に至り益々夥しく産す」とあり、「公(利直)の世に至りてかく金貨多く出ければ公私とも封内富饒にして天下に甲たり」と記されている。利直の子南部重直治世33年鹿角金山衰退期に入るが『南部史要』では重直の治世評して時に我藩鹿角産金夥しく、富諸侯冠たるを以て、公(重直)は衣服刀剣綺麗飾り都会横行す」としている。 白根金山の金はおそらく一定の品質をもって他藩にも通用された。1614年慶長19年2月秋田藩は入封以来領内金銀運用を、梅津政景使者として駿府徳川家康上納した運用金は102であったが、そのうち100枚白根湊封付の金で、白根金は1枚40目8分であった。湊封というのは、土崎湊天秤屋か吹屋が封包したもの考えられる梅津政景はこの金を渋江政光から渡され、彼はこのことを梅津政景日記記載している。

※この「白根金山の隆盛」の解説は、「白根金山」の解説の一部です。
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