発見と解読
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「ホショ・ツァイダム碑文」の記事における「発見と解読」の解説
1889年、ロシアのニコライ・ヤドリンツェフ(英語版)(Николай Михайлович Ядринцев)がオルホン河畔のホショ・ツァイダムで発見。1893年にはデンマークの文献学者ヴィルヘルム・トムセンによって解読された。
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発見と解読
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19世紀末にフリンダーズ・ピートリーがエジプトのアマルナを発掘し、多数の粘土板を発見したが、その中に、アッカド語と同じ文字を使ってはいるが未知の言語で書かれたものがあり、アルザワ書簡と呼ばれた。ノルウェーのヨルゲン・クヌートソン(英語版)が研究し、アルザワ書簡の言語がインド・ヨーロッパ語族の特徴を持つことを1902年に発表したが、当時は受け入れられなかった。 1906年にフーゴー・ウィンクラーを隊長とするドイツの調査隊がボアズキョイを発掘して多数の粘土板を得た。そのうちにアルザワ書簡と同じ言語で書かれたものも含まれていた。アッカド語で書かれた粘土板から、ここがヒッタイトの首都であるハットゥシャであることが判明した。ヴィンクラーの没後、1915年にチェコのベドジフ・フロズニーが、この言語がインド・ヨーロッパ語族に属すると結論づけた。その後は主にドイツの学者によって研究が行われ、ヒッタイト語は正確に理解できるようになっていった。
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