甲斐源氏流塚原氏
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『寛政重修諸家譜』によると、幕臣として徳川氏に仕えた塚原氏の起源は清和源氏義光流の支流の内とされる。甲斐国山梨郡塚原村(山梨県甲府市塚原町)の地名を号する塚原但馬守昌吉を祖とする。戦国時代に、昌吉とその子・昌重は武田信玄・勝頼に仕えたとされる。昌重は天正10年(1582年)月の甲斐武田氏滅亡後に徳川氏に仕え、信州上田合戦や大坂夏・冬両陣に徳川方として出陣し、武蔵国に知行地を与えられた。その子昌信の代に至って大番に列し、幕臣塚原家の基礎を作っている。 鳥羽・伏見の戦いで副総督として幕府軍の指揮を執った江戸時代末期の幕臣(若年寄並・外国奉行)塚原但馬守昌義は上記但馬守昌吉系の後裔と考えられる。なお、初代昌吉以前の系譜は定かではない。 また、1814年(文化11年)に成立した『甲斐国志』には武田氏家臣として塚原氏一門の名が残り、武田家旧臣の末裔を調査した『誠忠旧家録』にも多くの塚原氏の名があげられているものの、上記幕臣の塚原氏との関連性は定かではない。
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