田中勝春とGI
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2011年現在で通算1500勝以上していながら、近年の西高東低と言われる全体的な関東馬不振の流れの影響などを受けたのか、1992年の安田記念での初勝利からは、長期間GIを勝てずにいた。2004年の優駿牝馬(オークス)ではウイングレットに騎乗し7着。このレースでGI・100連敗という不名誉な記録を達成。2005年になってもなお勝てず、朝日杯フューチュリティステークスでも4着に敗れ、GI競走125連敗(内訳は中央競馬が121、地方競馬開催の統一GIが4)となっていた。その間、2着9回3着7回。 しかし、2005年12月21日川崎競馬第10競走の全日本2歳優駿をグレイスティアラで制し、およそ13年ぶりにGIを制覇した。なお、全日本2歳優駿は「全日本3歳優駿」という名称だった1998年にもアドマイヤマンボで勝っているが、当時は統一GIIだった。 中央競馬のGIに限ればその後も連敗が続いたが、2007年に第67回皐月賞でヴィクトリーに騎乗し勝利、15年ぶりに中央競馬のGI競走制覇を果たして連敗記録を139でストップした。さらには、同年挑戦したシンガポール航空インターナショナルカップでシャドウゲイトに騎乗し日本国外の国際GIでも勝利している。 長く連敗が続いた原因の一つとして有力馬の騎乗が少なかったという事情もある。ヤマニンゼファーとセキテイリュウオーにまつわるエピソードも、もとはといえばセキテイリュウオーが所属厩舎(当時)の馬であり、自厩舎の馬を優先させたという事情があった。また、1番人気での騎乗は日本で2回・日本国外で1回(2000年安田記念:スティンガー、2002年朝日杯フューチュリティステークス:サクラプレジデント、2007年シンガポール航空インターナショナルカップ:シャドウゲイト)で、2番人気での騎乗も4回(2003年皐月賞・東京優駿(日本ダービー):サクラプレジデント、2004年宝塚記念:ゼンノロブロイ、2007年日本ダービー:ヴィクトリー)しかなかった。また、岡部幸雄の騎手引退後に田中を主戦騎手の一人にしていた藤沢和雄厩舎もGIになると有力馬の騎乗を外国人騎手に乗り替わらせることが多かった。 もっとも悔しい敗戦は1993年の天皇賞(秋)でセキテイリュウオーに騎乗しハナ差に敗れたことだと語っている(レース後に悔し涙にくれたエピソードがある)。このときの優勝馬は、前年の安田記念で自身が騎乗して優勝したヤマニンゼファーであった。1997年の安田記念でもジェニュインに騎乗し同馬をかつてお手馬にしていた岡部騎乗のタイキブリザードにハナ差まで迫ったことがある。
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