生誕時の王位継承における立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 04:41 UTC 版)
「ヴィクトリア (イギリス女王)」の記事における「生誕時の王位継承における立場」の解説
ハノーヴァー家はドイツの領邦ハノーファー王国の君主の家系であるが、旧イギリス王家ステュアート家と縁戚関係があり、その関係でステュアート家が絶えた後、ハノーファー君主(当時は選帝侯)が同君連合でイギリス王位も継承した。ハノーファー王室はサリカ法の適用を受けるため、女子の王位継承が認められていないが、イギリス王室にはサリカ法の適用がないため、女子にも継承権があった。イギリス王位継承順位は、2013年王位継承法の制定まではコモン・ローに基づき、王の最年長の男子が継承するのが基本だったが、男子がなく女子のみある場合には最年長の女子が王位を継承するとなっていた。 生誕時のヴィクトリアのイギリス王位継承順位は3人の伯父、摂政王太子ジョージ、ヨーク公フレデリック、クラレンス公ウィリアム(後の国王ウィリアム4世)と父ケント公に次ぐ第5位であった。 かつて摂政王太子ジョージにはシャーロットという嫡出子がおり、いずれ彼女が王位を継ぐものと目されていたが、1817年11月6日に身ごもった子供を死産させた際に薨去したため次々世代の王位継承者が消滅した。というのも、この1817年の時点ではジョージ3世の王子らは摂政王太子を除いて誰も嫡出子を持っていなかったからである。 これに焦った摂政王太子と議会は、結婚していない王子たちに資金援助をちらつかせて、しかるべき君主家の娘を正妃に迎えて嫡出子作りを促した。借金まみれのケント公もそれが目当てで未亡人のドイツの小領邦君主の娘と結婚してヴィクトリアを儲けたのであった。ヴィクトリアが生まれる2か月ほど前に伯父クラレンス公にも嫡出子シャーロットが生まれていたが、その子は出生後すぐに薨去したため、ヴィクトリア誕生の時点ではヴィクトリアが次々世代の王位継承最有力候補者であった。とはいえクラレンス公妃はまだ十分に子を産めそうであり、またヴィクトリアの母ケント公妃もまだ子が産めそうであったため、これから弟が生まれる可能性もあり、そうした場合には第4王子の女子に過ぎないヴィクトリアの王位継承は一気に遠のくという不安定な立場であった。 ヴィクトリア生誕時(1819年5月24日)のイギリス王位継承順位※灰色は故人、()の中の〇位はハノーファー王位の継承順位。 イギリス王ハノーファー王ジョージ3世 王妃シャーロット 摂政皇太子ジョージ(のちのジョージ4世)1位(1位) ヨーク公フレデリック2位(2位) クラレンス公ウィリアム(のちのウィリアム4世)3位(3位) ケント公エドワード4位(4位) カンバーランド公アーネスト6位(5位) サセックス公オーガスタス7位(6位) ケンブリッジ公アドルファス8位(7位) シャーロット シャーロット ヴィクトリア5位(-) ジョージ9位(8位) 男子
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