琉球・日本と近隣国間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:36 UTC 版)
日本と明間の貿易は、大内氏の滅亡により1549年に日明貿易が途絶えて以降は商人や倭寇(後期倭寇)による私貿易・密貿易が中心であった。日明間の貿易は朝鮮出兵以降は断絶状態であり、私貿易・密貿易が盛んであった。安土桃山時代(1573年 - 1603年)には南蛮貿易が推奨され、1604年には日本側も倭寇を統率する目的で朱印船貿易を開始。朱印船貿易により東南アジア各地との交易が盛んとなるが、その矢先の出来事であった。 当時琉球王国も南蛮貿易を行いつつ、明にも冊封しており、薩摩の侵攻に対し王府は明に救援を求めた。しかし明は侵攻に関し一切救援を送らないどころか、これを黙殺した。当時の明は実態として、豊臣秀吉の朝鮮出兵による朝鮮半島での日本との戦闘に、多大な出費と負担を強いられ国力が疲弊しており、とうてい琉球支援のために渡海遠征を行える状態ではなかった。1644年にその明は滅亡した。 また、清末期に発生した琉球漁民殺害事件でも、日本の副島種臣外務卿が1872年(明治5年)に公式に清に赴き抗議したが、清朝側では「台湾は化外の地であり掌握していない」と表明するなど、明並びに清も、冊封下の支援には消極的だった。
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