玉澗流庭園と玉泉園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 09:22 UTC 版)
玉泉園の築庭が、全国に6例が確認されるだけで、幻の様式とされる「玉澗流」で行われていることが判明している。「玉澗」は中国南宋時代の画僧、芬玉澗のことである。芬玉澗は多くの絵を後世に残しているが、元禄7年(1694年)に京都で刊行された『古今茶道全書』の第5巻(後に独立して出版された「諸國茶庭名蹟圖會」)の巻末に3枚の山水図が掲載されている(刊行の時期は脇田家3代当主直長が玉泉園を築庭していた時代と符合する)。その3枚の山水図のうちの1枚(玉澗樣山水三段瀧圖)が、玉泉園の東滝を中心とした崖地部分の作庭と酷似していることが最近の調査で分かっている。玉澗流庭園の特色としては、 築山を2つ設けてある 築山の間に滝を組んである 滝の上部に石橋(通天橋)を組んである 石橋の上部は洞窟式になっている といった点にあり、玉泉園はこの4つの特色が全て備わっている。
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