独立リーグ入団後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 09:43 UTC 版)
愛媛1年目の2018年はレギュラーを確保できず、控えに回り、半分程度の試合にしか出場できなかった。 2019年は肩の状態が万全になり、二塁のレギュラーを奪取する。上位打線を中心に全70試合に出場し、リーグ11位の打率.253、チーム2位の16盗塁の成績を残す。シーズン終了後には四国IL選抜チームの第2次選抜メンバーとして、みやざきフェニックス・リーグに後半戦から参加した。オフは打撃力向上を目指し、フィジカルトレーニングに励んだ。 しかし、2020年は打撃が向上せず、打率は.231に終わる。シーズン終了後、任意引退で愛媛を退団した。なお、新井によると表面上は任意引退だったものの、実質的には成績・年齢面からの自由契約であったという。なお、NPB入りを目指しながらも、愛媛での3年間で調査書は1通も届かなった。 同年オフ、九州地方に新たな独立リーグ・九州アジアリーグが発足。同リーグの大分B-リングスのトライアウトを受験し、同球団への入団が決まった。大分1年目の2021年はチームの専任選手では最年長であったことや、四国での3年間の経験を買われ、初代キャプテンに任命された。新井はこの年をNPB挑戦のラストシーズンと位置づけ、野球道具費や生活費、活動費、スポンサー集めのための資金援助を目的としたCAMPFIREでのクラウドファンディングを実施した。レギュラーとして出場を続けたが、この年もNPBから声はかからなかった。しかし、九州での1年間のプレーを通し、現役続行を決意した。 シーズン終了後、10月25日にいったんは2022年から選手兼任でコーチに就任することが発表されたが、11月29日に「アメリカ野球への挑戦」を理由に大分を退団することが発表された。アメリカ野球挑戦のために再度、CAMPFIREでのクラウドファンディングを立ち上げた
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