灤東作戦とは? わかりやすく解説

灤東(らんとう)作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 02:50 UTC 版)

塘沽協定」の記事における「灤東(らんとう作戦」の解説

3月27日武藤信義関東軍司令官正式に「関作命第四九一号」を発令し、灤東作戦が開始された。 作戦目的満州国国境としての長城確保することにあった実際には、長城から大砲射程範囲内にある(日本側の主張する)中国領内中国軍掃蕩することが求められ、また中国側飛行機根拠地爆撃して作戦根拠破砕することは当然とする発表熱河戦中おこなわれていた。 何応欽中央軍5万北平天津地域集結させると、関東軍武藤司令官の「長城隔て河北省中華民国領土である」として長城越えて行動しないように自制していることに乗じ熱河に対して7千の兵力進めた中国軍は界嶺口方面における増強継続し新たな反撃準備行っていたが、3月末までの数日間において商震部隊一部宋哲元の一旅団加えた同時に宋の大隊熱河入り日本軍背後突こうとした。 3月31日日本陸軍当局者は外国人記者団からの「中国軍長城線における挑戦態度継続される場合日本軍の行動どのようになるか」との質問対し私見として「日本軍忍べ限度までは忍ぶ中国軍増長して反省なければ一大鉄槌を下す場合否定できない」としながらも、「中国側挑戦蔣介石一派東北軍及びその他の雑色軍を日本軍により整理しようとする手段であり(後述雑軍整理参照)、整理されようとする軍の将領もこのことをようやく理解してきたことから何時までも続くものとは考えていない」と述べ関内東北軍将領帰順すれば満州国は許すかとの質問には「満州国忠誠を誓う者は許され家族部下財産安全に保障され多くの例がある」と答えている。 日本軍4月10日攻勢開始長城のすぐ外側航空基地設け37機を擁して長城内側における爆撃偵察行動のために使用していた。 4月22日日本側は熱河省南側国境から中国側圧力除き目的長城から大砲射程範囲内にある中国軍排除)をすべて達成したとして日本軍には作戦停止命じられたこと、中国軍灤河以東から完全に排除されたことを発表し以後日本軍中国軍新たな攻撃行わないことを確認直ち撤退する予定であることを示した日本軍の侵攻停止は、4月18日長城以南への侵攻憂慮し昭和天皇本庄繁侍従武官長に「関東軍直接指令出して侵攻作戦停止させるか」と下問したことに始まり本庄から報告受けた眞崎甚三郎参謀次長天皇意向記した親書関東軍司令官送付すると共に関東軍参謀長即時撤兵打電したことから長城線への撤退命令が発せられた。内田尚孝によれば本庄眞崎参謀次長対しの上内容実情違い詰問し眞崎下陸軍中央が議論の末、「更に進出するとも一旦は長城線に復帰」させるための行動であったとしている 。 一方中国側では3月13日何応欽軍政部長国防相)が軍事委員北平分会代理委員長兼任し華北軍事問題の処理にあたっていたが、4月18日至り蔣介石汪兆銘に「敵は平津包囲する」との状況判断伝え5月6日には戦闘継続和睦かの判断中央迫った

※この「灤東(らんとう)作戦」の解説は、「塘沽協定」の解説の一部です。
「灤東(らんとう)作戦」を含む「塘沽協定」の記事については、「塘沽協定」の概要を参照ください。

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