滅亡までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/17 01:42 UTC 版)
出典:マルヴェギル王の時代(1272年から1349年)に、霧降り山脈の北端にアングマール王国が成立した。同王国はナズグルの首領を王とし、当初から北方のドゥネダインを滅ぼさんとして建国された国であった。マルヴェギルの子・アルゲレブ王の時代、ルダウアとカルドランでイシルドゥアの血脈が絶えたため、アルセダインはイシルドゥア王家の正当な後継者として全アルノールの統一を主張したが、ルダウアによって拒否された。 アングマールおよび密かにアングマールと結託したルダウアはアルセダインへの攻撃を開始し、アルセダインとカルドランはこれに武力で対抗した。1409年、アングマールの大軍が侵攻を開始し、ルダウアはアングマールの臣下に占領され、カルドランは荒廃、アモン・スールの塔も焼かれるなど、アルノール旧領は手痛い損失を蒙る。その後アルセダインはエルフのキアダンおよび裂け谷からの援軍を得ることに成功し、アングマール軍は放擲され小康状態となる。 アルゲレブ二世の時代(1589年から1670年)に疫病が流行し、カルドランのドゥネダインが滅びる。なお、この疫病は1636年にゴンドール王テレムナールおよび彼の子全員を死に至らしめたものと同じものであると考えられる。 1974年、勢いを回復したアングマール軍はアルセダインを急襲し、首都フォルノストはアングマールの占領下に置かれた。アルセダイン王アルヴェドゥイ(最後の王、の意)はフォロヘル湾のロスソス族のもとに逃れて再起を期するも、救援に駆けつけたキアダンの船団もろとも嵐によって海に沈み、北方王国は滅亡した。
※この「滅亡までの経緯」の解説は、「アルセダイン」の解説の一部です。
「滅亡までの経緯」を含む「アルセダイン」の記事については、「アルセダイン」の概要を参照ください。
- 滅亡までの経緯のページへのリンク