滅亡後のレッディ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/25 23:55 UTC 版)
その後、レッディ王国の領土であったアーンドラ地方は、15世紀まではガジャパティ朝、16世紀にヴィジャヤナガル王国、17世紀にはゴールコンダ王国とムガル帝国、18世紀にはニザーム王国の領土となっている。 ヴィジャヤナガル王国では、レッディは依然として軍事力として扱われ、その族長らはヴィジャヤナガル王国のナーヤカとなり、ヴェールールの城塞を建築したチンナ・ボンミ・レッディ・ナーヤカとティンマ・レッディ・ナーヤカはレッディの出身だった。 ゴールコンダ王国の統治下でも、テランガナ地方在住のレッディはその地域を任され、16世紀のマフブーブナガルの統治者はヴィーラ・クリシュナ・レッディという人物だった。 このほかにも、ラーマクリシュナ・レッディ、ペッダ・ヴェンカタ・レッディ、インマディ・ヴェンカタ・レッディなどもおり、インマディ・ヴェンカタ・レッディはゴールコンダ王アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの将軍でもあった。 また、ムガル帝国の支配ののち、18世紀にニザーム王国が成立すると、レッディはアーンドラ地方のデーシュムク、つまり地主として扱われた。 また、ニザーム王国の宮廷では、数人のレッディの人々は貴族として扱われ、政権の高い地位に就くこともあり、20世紀の藩王ミール・オスマーン・アリー・ハーンに仕えたラージャ・バハードゥル・ヴェンカタラーマ・レッディが有名である。 現在のアーンドラ・プラデーシュ州において、レッディは地主のカーストとして位置づけられているが、この地方の大多数を占めるカーストであり、今もなお大きな社会集団として州の政治にも関与している。
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