泰栄院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 泰栄院の意味・解説 

泰栄院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 08:57 UTC 版)

泰栄院(たいえいいん、? - 元和5年10月25日1619年11月30日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。徳川家康側室。名は。父は武田家の旧臣である宮崎泰景。

生涯

甲斐国武田家の旧臣である宮崎泰景の娘として生まれる。

天正年間に徳川家康に召し出され奥勤めを始める。家康との間に子女は生まれなかった[1]

家康没後の元和5年10月25日1619年11月30日)、駿府にて死去。戒名は泰栄院宗譽昌清大姉。藤枝市の浄念寺に埋葬されたが、後に信濃の駒場(現在の長野県阿智村)の浄久寺に改葬されている。浄久寺は後に火災や山崩れなどの度重なる災害に遭ったため、泰栄院の墓を特定することが出来なくなっている。

現在は同じく家康の側室である雲光院が開基した京都府京都市上徳寺に供養塔が残る。同寺には泰栄院と雲光院の墓碑が並んで建立されているが、これは2人の実父が共に武田家の旧臣であった関係によるものと考えられる[2]

脚注

  1. ^ 真野恵澂『徳川家康と戦国武将の女たち』(1983年中日新聞社、p84)
  2. ^ 秋元茂陽『徳川将軍家墓碑総覧』(パレード、星雲社2008年、p72)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「泰栄院」の関連用語

泰栄院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



泰栄院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの泰栄院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS