河内湖
河内湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 14:39 UTC 版)
紀元前約6000年から前約5000年ごろの縄文海進により海水が河内平野へ進入し、現在の高槻市付近を北限、東大阪市付近を東限として、上町台地と生駒山地の間に河内湾と呼ばれる湾が形成された。 湾の北東岸には淀川が、南岸には大和川が流入し、三角州を形成していた。大和川の流路は現在とは異なり、柏原付近で北へ転じ、現在の長瀬川を流れていた。 『古事記』によると、神武東征で神武天皇は「浪速の渡」(なみはやのわたり)を越えて湾に進入し楯津(古事記編纂時の「日下の蓼津」)に上陸した。比定される東大阪市日下は生駒山脈の麓であり、当時はほぼ山麓まで海が迫っていたことがうかがえる。 經浪速之渡而。泊青雲之白肩津。(中略) 故號其地謂楯津。於今者至日下之蓼津也。 — 古事記 中巻
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