日下貝塚とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 日下貝塚の意味・解説 

日下貝塚

名称: 日下貝塚
ふりがな くさかかいづか
種別 史跡
種別2:
都道府県 大阪府
市区町村 東大阪市日下町
管理団体
指定年月日 1972.07.26(昭和47.07.26)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S47-5-103[[日下]くさか]貝塚.txt: 貝塚生駒山麓に形成され扇状地先端にあり、すでに文祿3年(1594)の『検地帳』に「かいはたけ」とあり、古くから知られていたようである。
 遺跡範囲は、約200メートル四方におよび、貝類セタシジミ99パーセント、その他14種が検出され繩文時代晩期貝塚として知られる。また土器各種石器類骨角器11体の埋葬人骨なども発見されているほか、古代馬の完全な遺骨検出稀少な例である。とくに本貝塚は、近畿地方における数少ない貝塚一つで、大正14年学術調査以降広く学界紹介され著名な遺跡である。

日下貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/05 15:36 UTC 版)

日下貝塚(くさかかいづか)、または日下遺跡(くさかいせき)は、大阪府東大阪市日下町内に所在する縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡遺跡範囲全域の名称は「日下遺跡」だが[1]、縄文時代の貝塚を中心とする範囲が「日下貝塚」の名称で1972年(昭和47年)7月26日に国の史跡に指定されている[2]


注釈

  1. ^ セタシジミは生後6年で28ミリメートルに成長する。寿命は最大8年。
  2. ^ チリメンカワニナは汽水域で生息出来る貝なので、淡水貝・海水性貝の両方に記載。
  3. ^ 34体以上。そのほとんどは屈葬で、身体は仰向け・横・うつ伏せなどの状態で葬られ、抜歯痕が多く認められる。
  4. ^ 1966年(昭和41年)の調査時に検出された。2017年(平成29年)に金沢大学の覚張隆史が放射性炭素年代測定を実施し、4世紀後半から6世紀中ごろの古墳時代の馬骨と推定された[4]

出典

  1. ^ a b 東大阪市. “ひがしおおさかe~まちマップ(埋蔵文化財包蔵地地図)”. 東大阪市. 2023年6月29日閲覧。
  2. ^ 大阪府教育庁 文化財保護課 保存管理グループ. “大阪府内指定等文化財一覧表”. 大阪府. 2023年6月29日閲覧。
  3. ^ a b 大阪府教育庁 文化財保護課 保存管理グループ. “日下遺跡から出土した縄文土器”. 大阪府. 2023年6月29日閲覧。
  4. ^ 大阪府教育庁 文化財保護課 保存管理グループ. “日下遺跡から出土した馬骨”. 大阪府. 2023年6月29日閲覧。


「日下貝塚」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日下貝塚」の関連用語

日下貝塚のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日下貝塚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日下貝塚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS