死と死後の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 16:15 UTC 版)
金砂福の存在がクローズアップされたのは、光州事件をモデルとした映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」からである。当初はその英雄的な行動から好意的な評価が主であったが、先述の文世光事件との関わりが発掘されると雲行きは怪しくなった。韓国では右派を中心に光州事件に対して「北朝鮮の関与」の主張があった。しかし光州事件否定論は韓国内ではタブー視されており、公論とはならなかった。しかし北朝鮮の手先として事件を起こした文を「たまたま」送り届けた金が光州事件の記者も送り届けていたことから、これらを結びつけて光州事件陰謀説が唱えられ続ける結果となった。 映画の公開後、金砂福の息子スンピルが名乗り出て、映画の主人公のモデルが彼の父であることが明らかとなった。スンピルは「父が民主化に無言で寄与した点が知られた点はうれしかった」としながらも、その描写が現実とかけ離れていることに強い不満を訴えている。 スンピルによると、砂福は光州事件の後、軍が民衆を弾圧する姿に心を痛めて酒に溺れ肝硬変を患い、1984年に肝臓がんで逝去したという。
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