正利の子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:21 UTC 版)
正利とおいわの間に、三内という男子が寛永16年(1639年)頃に生まれている。 三内の処遇について、慶安2年(1649年)、細川忠利の長男光尚と正利との間で引き取りの相談に関する書簡が何通か交わされている。おいわが暇を出された後、三内は乳人により養育され、明暦元年(1655年)4月、17歳で新宅を構え独立したが、疱瘡(天然痘)を患い、明暦2年(1656年)5月7日に死去した。 正利は刑罰として細川家預かりの身分だったが、二代にわたって預けられる例はなく、すなわち三内は罪人ではない。もし三内が若死にしなければ、稲葉家に引き取られる、もしくは細川家に召し抱えられる、といった相応の処遇がなされたであろうと考えられる。
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