次郎長伯山とは? わかりやすく解説

次郎長伯山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 02:56 UTC 版)

清水次郎長 (講談)」の記事における「次郎長伯山」の解説

三代目神田伯山は、『次郎長伝』、『夕立五郎』、『野狐三次』等の「三尺もの(侠客物)の上手」と讃えられる次郎長伝評判により、俗に「次郎長伯山」とまで呼ばれるようになった周囲八丁寄席の客を奪うほど人気得て八丁荒らし」の異名をとる八丁荒らし人気芸人への一般的なほめ言葉使われる山本鉄眉こと天田愚庵養父清水次郎長生前1884年明治17年4月発行したお手盛りの『東海遊侠伝』と、「荒神山の喧嘩」に同行した講釈師松廼家太琉(売講子清龍)から譲渡された『清水次郎長』の「点取本」も参考にして作った松廼家太琉は、『鬼面山音五郎』『小柳平助』『鋼ヶ関金太郎』などを創作し、伯山は初演となる1907年明治40年5月東京市本所区亀沢町現在の東京都墨田区両国)の福本亭にて『名も高き富士の山本』の題で初め読んだ清水次郎長題材にした映画は、伯山の初演から4年後の1911年明治44年10月4日公開された『清水の次郎長がもっと早く尾上松之助主演牧野省三監督し日活前身の1社である横田商会製作・配給した。ただし伯山の『次郎長伝』との関係は不明である。明確に山の名クレジットした映画作品は、後述するフシ付け2代目勝太郎二代目虎造により為され有望な若手となった頃、講談速記本発行1924年大正13年6月30日公開の『次郎長外伝 大瀬半五郎』(監督賀古残夢脚本食満南北)、同年10月10日公開の『清水次郎長 義兄の巻』(監督・脚本沼田紅緑)を待つことになる。 実在人物である本座五郎穴太徳次郎神戸の長吉竹居安五郎黒駒勝蔵らは、次郎長引き立てるために悪人卑怯者として描かれた。追分三五郎、小走の半兵衛はここで初め登場する架空人物である。都田吉兵衛を「都鳥吉兵衛」としたのも伯山である。「清水二十八人衆」も『東海遊侠伝』には表現されておらず、初め数えられた。伯山の講談本『清水次郎長』(1924年)では、大政小政から鳥羽熊、庵原の廣吉まで10挙げて石松思い出し追分三五郎出てこない。。 斬った張った殺戮繰り広げられるヤクザの抗争に過ぎなかった次郎長実際エピソードを、「見てたようなウソを言う」講釈師基本的性格遺憾なく発揮して日本人好み義理人情に厚い痛快な話に塗り替え次郎長正義」という人気読み物変えたことに功績があるとされるラジオ放送講談初登場1925年大正14年3月5日、この伯山の「次郎長伝であった。「大瀬半五郎」を読んでいる。

※この「次郎長伯山」の解説は、「清水次郎長 (講談)」の解説の一部です。
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