横井 軍平
横井 軍平とは、任天堂に在籍していた開発者である。1941年9月10日、京都府生まれ。同社が世界的ゲーム・メーカーへ成長する原動力となった人物のひとりとして知られている。1997年10月4日没。
同志社大学工学部電子工学科を卒業した横井氏は任天堂に入社し、翌年には自身の企画した製品が大ヒットを記録している。その後、アーケードゲーム機「ドンキーコング」や「ファミリーコンピュータ」における十字キー、携帯型ゲーム機の「ゲームボーイ」など、次々と代表的製品を世に送り出した。
1996年8月、当時製造本部開発第一部長だった横井氏は、任天堂を退職した。その後、ゲーム関連の企画・研究所であるコト社を設立した。しかし交通事故によって、わずか1年後に他界してしまった。
2003年3月、米国のInternational Game Developers Association (IGDA) から、ゲーム業界における優れた功績を顕彰する「Lifetime Achievement Award」が(すでに故人となった氏へ)授与されている。
横井軍平
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横井 軍平(よこい ぐんぺい、1941年〈昭和16年〉9月10日 - 1997年〈平成9年〉10月4日)は、日本の技術者、ゲームクリエイター。携帯型ゲーム業界に多大な貢献を行ったことから「携帯ゲームの父」の異名で知られる。
- ^ 武田亨「It’s The NINTENDO」(2000年、ティーツー出版)p.80
- ^ 当時の任天堂のアーケードゲームは上村雅之らを初めとしたハード技術者がソフトも手掛けていた。
- ^ ただし、技術面では全くかかわっておらず、更に当時非常に多忙だったため、特許関連の作業で無駄な時間を使いたくないという理由で、特許出願の際に名前を出していない。
- ^ なお、この賞を受賞した他の日本人は「小島秀夫」「宮本茂」「中裕司」などがいる(『ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男(牧野武文 著、角川書店)』 19ページ)。
- ^ PC Watch「後藤弘茂のWeekly海外ニュース 任天堂 岩田聡社長インタビュー(1) マンマシンインターフェイスを直感的にすることがカギ」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「横井軍平 ゲーム館」および「横井軍平 ゲーム館 RETURNS ゲームボーイを生んだ発想力」より。「ドライブゲーム」に関しては、自身もインタビューの最中に思い出すまで長いこと忘れていた。
- ^ 発売は1967年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax 隔月刊 ゲーム批評1月号Vol.18 「追悼企画 横井軍平の時代を振り返る・横井軍平作品集」より。
- ^ Nintendo Entertainment System版のエンディングスタッフロールに「G・Yokoi」と記載。
- ^ 「GUNPEY」の前身にあたる作品。
- 1 横井軍平とは
- 2 横井軍平の概要
- 3 その他伝説・逸話
- 4 関連書籍等
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