楯無
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 01:42 UTC 版)
楯無(たてなし)とは、源義光伝来の鎧とされる源氏八領の一つ。特に甲斐国の武田家に伝わる大鎧で名高い。
- ^ 黒田基樹「鎌倉期の武田氏」(初出:『地方史研究』211号(1988年)/所収:木下聡 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第四巻 若狭武田氏』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-192-9)
- ^ 西川広平「南北朝期 安芸・甲斐武田家の成立過程について」(初出:中央大学文学部『紀要』史学65(2020年)/所収:西川広平 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第三二巻 甲斐源氏一族』(戎光祥出版、2021年) ISBN 978-4-86403-398-5)
- ^ 前述西川論文、2021年、P292.
- ^ 『山梨県史』(以下『県史』)資料編6中世3上県内記録に所載。
- ^ 西川広平「武田氏系図の成立」峰岸純夫・入間田宣夫・白根靖大編『中世武家系図の史料論』(下巻、2007年、高志書院)、『一統系図』は『県史』資料編3下県外記録に、その他武田氏系図は『県史』6中世3上県内記録に所載。
- ^ 西川広平「楯無鎧の伝承をめぐって」『小桜韋威鎧 兜・大袖付 復元調査報告書 -楯無鎧の謎を探る-』(山梨県立博物館調査・研究報告1、2007年)
- ^ 生島足島神社の起請文は信廉のほか長坂昌国、浅利信胤、両角昌守、鮎沢虎守の5名。『県史』資料編5中世2上県外文書に所載。
- ^ 『軍鑑』品三、御旗については「八幡太郎義家の御幡」と説明されている
- ^ 巻二「菅田天神社」、西川注3論文による
- ^ 『寛政重修諸家譜』によれば、清水時良(1740 - 1794)は武具に関する著作を残している人物で、中村知剛(1747 - 1843)は安永年間に甲斐国の河川普請に携わり、文化年間には市川代官を務めている
- ^ 高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012年)、p.208
- ^ 高澤憲治『松平定信』(吉川弘文館、2012年)、p.209
楯無
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楯無(たてなし)は、その堅牢さから盾がいらないといわれるのが名の由来である。甲斐源氏に伝来した家宝であった。源氏八領のうち、唯一現存するものとされる。平治の乱で源義朝が着用し、敗走の際に脱ぎ捨てられたが、回収され甲斐武田家に届けられたという。 詳細は「楯無」を参照
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