楫取美和子
楫取美和子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/31 05:44 UTC 版)
楫取 美和子(かとり みわこ、天保14年(1843年)[1] - 1921年(大正10年)9月7日[2])は、江戸時代末期(幕末)から大正時代にかけての女性。幕末の思想家・吉田松陰の妹。松陰門下の久坂玄瑞に嫁いだが、禁門の変で久坂が自害して未亡人となる。後に実姉の元夫で群馬県令や貴族院議員を歴任した男爵楫取素彦と再婚してこれを支えた。旧姓名は杉 文(すぎ ふみ)。
- ^ a b ただし、『平成新修旧華族家系大成』上巻 440頁では弘化2年(1845年)3月1日生まれとなっている。
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻 440頁
- ^ 吉田松陰書簡「文妹久坂氏に適くに贈る言」
- ^ 『物語 幕末を生きた女101人』31頁(なお、出典では「月照」と記されているが、吉田松陰と親交があったのは月性の方である)
- ^ 関厚夫『ひとすじの蛍火―吉田松陰 人とことば』278頁
- ^ この題は、赤穂浪士の一人・小野寺秀和が討ち入り後の細川家預かりの身の時に妻・丹と交わした書簡をまとめた「涙襟集」に由来している(『物語 幕末を生きた女101人』33頁)。
- ^ 慶応元年 楫取素彦書簡
- ^ 木俣秋水『吉田松陰をめぐる女性たち』159頁
- ^ ほうふweb歴史館 歴史年表「明治」
- ^ 鞠生幼稚園について
- 1 楫取美和子とは
- 2 楫取美和子の概要
- 3 子女
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