桑山家とは? わかりやすく解説

桑山家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 10:07 UTC 版)

風の果て」の記事における「桑山家」の解説

桑山孫助左衛門(隼太)の舅。 26歳時に代々代官郡奉行務める180石の桑山家に婿入りした。自身郡奉行務め、藩の農政には欠くことのできない切れ者として知られる太蔵が原巡視中、たまたま隼太と出会い気に入って婿入り勧めた海岸砂丘寄り広がる不毛の原野に、長四郎堰という用水を通す難工事成功させ、堰の東側原野良田にすることができ、郡代昇進するだろうと噂された。しかし、堰の西側(海側)は当初予想以上に地味が悪く地質改良工事失敗したために、藩政への発言力低下した。そのため、太蔵が原開墾対す反対意見取り上げられず、時の執政府疎まれて、代官格下げされてしまった。その後肝臓病んで家督を隼太に譲った。隼太が郡奉行昇進してすぐ、病死する桑山満江左衛門の妻。2男1女を産んだ長男夭折したが、又左衛門家老になったころには、次男忠治郎近習組に属して江戸上り、娘の菊井家中の家に嫁入っている。 義母加音義妹同様わがまま育ちで、結婚以来、又左衛門とはずっと気持ち通じず、長男夭折時に左衛門当時は隼太)が多忙不在にしていたことから不仲決定的になる。ただ、加音違って物欲は薄い。 青木藤蔵 家士22歳一刀流をよく遣う冷静な性格の男。又左衛門刺客襲われた時、かすり傷負いながらもこれを追い払った。市之丞が果たし状送りつけてきた後、その行方を捜して見つけることはできなかったが、市之丞が死病とりつかれているという話を探り出してきた。 ちよ 古参女中のようにとがった顔つきで、いつも仏頂面をしているように見えるが、性格おとなしく口数少ない。満江の代わりに、又左衛門身の回り世話をしている。 甚平 年寄り下男引退後は、息子友吉が桑山家に仕えている。

※この「桑山家」の解説は、「風の果て」の解説の一部です。
「桑山家」を含む「風の果て」の記事については、「風の果て」の概要を参照ください。

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