染織祭
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染織祭(せんしょくまつり、せんしょくさい)は、1931年(昭和6年)から1951年(昭和26年)にかけて、京都府京都市で4月に行われていた祭[1]。同祭は染織を司る9柱の神を奉る祭祀(神事)と、女性143人が古墳時代から江戸時代後期まで8つの時代の衣装を着て京都市街を回るパレード[1]から構成されていた。現在まで続く京都の三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)とともに四大祭と当時称され[1]、春の京都を彩っていたが、豪華絢爛な女性時代衣装行列は1937年(昭和12年)に勃発した日中戦争を受けて1938年に自粛され[1]太平洋戦争後も復興せず、神事も戦後の1951年(昭和26年)を最後に途絶えた[1]。
- ^ a b c d e f g 北野裕子「京都染織祭 昭和恐慌期の盛衰物語◇古墳時代~江戸の大衆・女性衣装まとった行列を調査◇」『日本経済新聞』朝刊2022年5月3日(文化面)2022年5月7日閲覧
- ^ 山本花魂『染織祭グラフ』(1931年)「解説」
- ^ 『京都日日新聞』1931年4月11日記事
- ^ 山本花魂『染織祭グラフ』(1931年)所載の祭祀次第並びにパレードの順序参照。
- ^ 『京都日出新聞』1931年4月12日~13日記事
- ^ 『京都日出新聞』1931年4月11日社説「染織祭讃ふ」
- ^ 関保之助ほか編『歴代服装図録 染織祭編』(1933年)序文
- ^ "この上古時代とは奈良朝時代以前を示すのであって、太古では無い"。関保之助ほか編『歴代服装図録 染織祭編』(1933年)。
- ^ 切畑健『日本の女性風俗史』(1997年)によると"今日の芸能史研究では「やすらい花」踊りでないことが指摘されている"とあり、昭和59年に再現された染織まつりの時代風俗行列では、綾藺笠や介々は省かれ、牛車で物詣する唐衣装の上臈に従う女房の衣装に置きかえられた。
- ^ 山本花魂『染織祭グラフ』(1931年)にて序文を執筆。
- ^ 『時代装束 時代祭資料集成』(1995年)所収の上田正昭「時代祭の史脈」より。
- ^ 行列は全国から募集した143名の女性が衣装を着用して行った。切畑健『日本の女性風俗史』(1997年)に説明並びに衣装着装者名が明記されている。
- ^ 染織祭衣装の江戸時代後期「御所解文様小袖」や「御簾桜花文様振袖」などにこの家紋が入っている(切畑健・市田ひろみ『写真でみる日本の女性風俗史 京都染織まつり記念図録』(1985年)pp.112-113参照)。パレードの屋台車は記録フィルムより確認することができる。
- ^ 『京都日出新聞』1937年4月8日記事に実際に使われたスタンプデザインが記載されている。
- ^ 『京都日出新聞』1931年4月13日
- ^ 『記念・観光たばこデザイン第1集』1972年7月1日
- ^ 祝賀踊は京都市左京区の岡崎公園内にて市民も参加して盛大に開催された。『京都日出新聞』1931年4月14日記事参照。
- ^ 『京都日出新聞』1938年4月9日記事参照。
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