染殿皇后を悩ませる天狗を調伏する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 10:05 UTC 版)
「相応 (僧)」の記事における「染殿皇后を悩ませる天狗を調伏する」の解説
貞観7年(855年)、清和天皇の母、皇太后・藤原明子(染殿皇后)は天狗に悩まされていた。諸寺の高僧にも調伏できる者がおらず、天狗は「三世の諸仏の化身でなければ、誰も我を降し我名を知ることはできぬ」と放言していた。そこで相応が召され加持したが、2、3日しても験がない。相応は叡山に戻り不動明王に祈ったが、明王像は相応を避けるように西へ東へと向きを変えてしまう。相応は涙を流し祈りながら、自分にどのような罪過があって背を向けられるのか問うたところ、明王は答えて言った。「かつて真済僧正は不動明王呪を持していた。その真済が今、邪執により天狗道に堕ち、皇太后を悩ませているのだ。私は明王呪を持している者を後生まで守護するという誓いを立てている。だから明王呪では彼を縛ることはできない。まず『あなたは真済僧正の後生ではありませんか』と天狗に告げ、彼が頭を下げたところで大威徳呪をもって加持すればよい。私は邪執を除き彼を仏道に赴かせるためにこれを教えるのだ」後日、相応が再び宮中に召され、明王の教え通りにすると、天狗は屈服し、しばらくして解脱した。その後、皇太后が悩まされることはなかった。
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