松虫・鈴虫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 15:55 UTC 版)
松虫、鈴虫は今出川左大臣の息女で姉は19歳、妹は17歳、共に容色優れて麗しく、後鳥羽上皇に召され、殊のほか寵愛されたが、1206年(建永元年)12月9日上皇が紀州熊野へ参詣の不在中、法然の弟子住蓮・安楽の獅子谷の六時礼讃念仏会に参詣し、帰依渇仰のあまり剃髪出家して名も妙智、妙貞と改めた。上皇はこのことを聞き憤怒して住蓮・安楽は死罪、法然は四国遠流になった。両名は上皇の追補を逃れ妙念尼を頼り来島、念仏三昧の生涯を過ごし、松虫は1222年(元仁元年)11月18日36歳で、鈴虫は1235年(嘉禎元年)4月29日45歳で亡くなったという。
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