しげの‐てんらい【繁野天来】
繁野天来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 15:10 UTC 版)
繁野 天来(しげの てんらい、1874年〈明治7年〉2月16日 - 1933年〈昭和8年〉3月2日)は、日本の詩人、英文学者。早稲田大学で4人目となる博士号授与者。本名は繁野 政瑠(しげの まさる)、他の筆名に繁野 狂美がある。
注釈
- ^ 数学を嫌ったためとも言われている[1]。
- ^ 当時、教員には坪内逍遥、大西祝などが、同窓には長谷川誠也、喜安璡太郎などがいた[1]。
- ^ 会員は天来の他、大町桂月、落合直文、佐々木信綱、塩井雨江、杉烏山、武島羽衣、正岡子規、宮崎湖処子、与謝野鉄幹の9人[5]。
- ^ 失恋のためとも言われている[5]。
- ^ 審査員は日高只一(早稲田大学教授)及び吉江喬松(早稲田大学教授・文学博士)[14]。
出典
- ^ a b c d e 新井 1978, p. 225.
- ^ a b c 近代文学研究室 1971, p. 226.
- ^ 尾島 1952, p. 107.
- ^ a b 近代文学研究室 1971, p. 304.
- ^ a b c 新井 1978, p. 226.
- ^ 尾島 1952, p. 108.
- ^ a b c d e 近代文学研究室 1971, p. 305.
- ^ a b c d e f g h i 新井 1978, p. 228.
- ^ a b c d e 新井 1978, p. 229.
- ^ 近代文学研究室 1971, p. 306.
- ^ a b 近代文学研究室 1971, p. 307.
- ^ 尾島 1952, p. 112.
- ^ a b c 新井 1978, p. 234.
- ^ 「校報 学位授与」『早稲田学報』第457巻、早稲田大学校友会、1933年3月10日、 12-17頁。
- ^ a b 近代文学研究室 1971, p. 308.
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