松任谷由実を命名者とする説とは? わかりやすく解説

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松任谷由実を命名者とする説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:29 UTC 版)

四畳半フォーク」の記事における「松任谷由実を命名者とする説」の解説

四畳半フォークという呼称は、1970年代中頃松任谷由実当時荒井由実)が用いたのが初出であるとも言及される松任谷自著ルージュの伝言』で以下のように述べている。これは1982年7月から9月にかけて松任谷インタビュー速記山川健一原稿化したのである関係ない話かもしれないけど、四畳半フォークって言葉、私が考え出したんだよ。有閑階級サウンド中産階級サウンドっていうのも私が命名したの。それを富澤一誠とかが使い出して、そのうち浸透したわけ。坂本龍一そういったら、「テクノポップって言葉はぼくがつくったんだ」とかいってた。二人で自慢し合ってたんだけどさ。インパクトのある言葉なら、すぐに浸透するんだよね。四畳半フォークというのは、デビューしたてのころ、『話の特集』に原稿頼まれて、そのとき最初に書いたんだ。 — 松任谷由実、『ルージュの伝言』、1984年出版 速水健朗松任谷の『ルージュの伝言』を出典として荒井松任谷)の命名だとしている。中川右介も、出典挙げていないものの、松任谷否定的な文脈命名したものだと述べている。 荒井松任谷)は、『話の特集』誌の1975年1月号に「心の中の"オーブル街"を歩こう」というエッセイ発表している。そこで荒井は、自分目指す音楽スタイルを「中産階級サウンド」「ちょっと手をのばせば届くような優雅さを、歌にしたい」と位置付けるとともに既存流行歌に対しては以下のような批判述べている。 自分作った歌を、自分で歌う人達は特に、心の中一つユートピア持っているはずだ。それがある人にとって、四畳半裸電球対す郷愁かもしれないし、あるいは、過ぎ去った子供の頃記憶かもしれない。 (中略現状より少しでも良い生活をしたいと望んでいるはずなのになぜみんな、貧しみじめなもの、それを題材にした歌に、強く反応するのだろう。日本人特有のナルシシズムなのだろうか。私の前途多難だ。 — 荒井由実心の中の"オーブル街"を歩こう」、『話の特集1975年1月号(太字強調引用者) このエッセイには「四畳半」という言葉出てきており、上述著書ルージュの伝言』で松任谷述べた「『話の特集』に原稿頼まれて」というくだりとも整合する。ただしこのエッセイ発表年月1975年1月であり、#初期の用例節で述べた武蔵野タンポポ団の『淋しい気持ちで』(1972年)、週刊読売記事1972年)、フリーランサーの『わたしたちの夢は』(1974年)などよりも時期としては後となる。

※この「松任谷由実を命名者とする説」の解説は、「四畳半フォーク」の解説の一部です。
「松任谷由実を命名者とする説」を含む「四畳半フォーク」の記事については、「四畳半フォーク」の概要を参照ください。

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