松任谷由実を命名者とする説
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「四畳半フォーク」の記事における「松任谷由実を命名者とする説」の解説
四畳半フォークという呼称は、1970年代の中頃に松任谷由実(当時は荒井由実)が用いたのが初出であるとも言及される。松任谷は自著『ルージュの伝言』で以下のように述べている。これは1982年7月から9月にかけて松任谷のインタビュー速記を山川健一が原稿化したものである。 関係ない話かもしれないけど、四畳半フォークって言葉、私が考え出したんだよ。有閑階級サウンド、中産階級サウンドっていうのも私が命名したの。それを富澤一誠とかが使い出して、そのうち浸透したわけ。坂本龍一にそういったら、「テクノポップって言葉はぼくがつくったんだ」とかいってた。二人で自慢し合ってたんだけどさ。インパクトのある言葉なら、すぐに浸透するんだよね。四畳半フォークというのは、デビューしたてのころ、『話の特集』に原稿頼まれて、そのとき最初に書いたんだ。 — 松任谷由実、『ルージュの伝言』、1984年出版 速水健朗は松任谷の『ルージュの伝言』を出典として荒井(松任谷)の命名だとしている。中川右介も、出典は挙げていないものの、松任谷が否定的な文脈で命名したものだと述べている。 荒井(松任谷)は、『話の特集』誌の1975年1月号に「心の中の"オーブル街"を歩こう」というエッセイを発表している。そこで荒井は、自分の目指す音楽スタイルを「中産階級サウンド」「ちょっと手をのばせば届くような優雅さを、歌にしたい」と位置付けるとともに、既存の流行歌に対しては以下のような批判を述べている。 自分の作った歌を、自分で歌う人達は特に、心の中に一つのユートピアを持っているはずだ。それがある人にとって、四畳半裸電球に対する郷愁かもしれないし、あるいは、過ぎ去った子供の頃の記憶かもしれない。 (中略) 現状より少しでも良い生活をしたいと望んでいるはずなのになぜみんな、貧しいみじめなもの、それを題材にした歌に、強く反応するのだろう。日本人特有のナルシシズムなのだろうか。私の前途は多難だ。 — 荒井由実「心の中の"オーブル街"を歩こう」、『話の特集』1975年1月号(太字強調は引用者) このエッセイには「四畳半」という言葉が出てきており、上述の著書『ルージュの伝言』で松任谷が述べた「『話の特集』に原稿頼まれて」というくだりとも整合する。ただしこのエッセイの発表年月は1975年1月であり、#初期の用例節で述べた武蔵野タンポポ団の『淋しい気持ちで』(1972年)、週刊読売の記事(1972年)、フリーランサーの『わたしたちの夢は』(1974年)などよりも時期としては後となる。
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