東京への再幸とは? わかりやすく解説

東京への再幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:58 UTC 版)

東京奠都」の記事における「東京への再幸」の解説

明治2年1869年1月25日東京へ再度行幸前に岩倉は、天皇意向知らず政府民間遷都あるかのように思っている者が少なからずいるために、京都大坂の人々動揺大きくなっているとし、関東諸国王化が行届いていないため新政を施すための再幸である旨を十分に分からせるための諭令を出すよう求め建議行ったまた、政府内でも遷都論を唱えるものがいるとし、天皇考えによる遷鼎(遷都)の沙汰もなく、臣下の身でこれを唱えることは決し承知しない遷都論に釘をさした。 同年3月7日翌年3月には京都戻り冬に大嘗祭行なうこととして、三条らを従えて再び東京への行幸が行われた(2度目東幸、再幸)。天皇同年3月28日東京城入り、ここに滞在するため東京城を「皇城」と称することとされた。このとき「天皇東京滞在中」とした上で太政官東京移され京都には留守官設置された。ついで同年10月24日には皇后東京移った。こうしてこれ以降天皇東京拠点活動することになった天皇・皇后東京へ行幸啓の度に、公卿諸藩主・京都政府役人京都市民などから行幸啓の中止反対の声が上がり政府は「これから四方天皇陛下行幸があるだろうが、京都は千有余年帝城大切に思っておられるから心配はいらない」とする諭告(『告諭大意』)を京都府から出させ、人心動揺鎮めることに努めた東京再幸の反対運動騒動の際には、時の情勢乗じて名古屋遷都画策するものまで現れた。

※この「東京への再幸」の解説は、「東京奠都」の解説の一部です。
「東京への再幸」を含む「東京奠都」の記事については、「東京奠都」の概要を参照ください。

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