来日外国人選手
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「全日本女子プロレス」の記事における「来日外国人選手」の解説
アルダ・モレノ(ペケーニャ・アステカ) 1996年に初参戦。モレノ4姉妹の四女。 イボンヌ・ジェニングス イルマ・アギラール 1979年に初来日。イルマ・ゴンザレスの娘。 イルマ・ゴンザレス 1975年に初来日。 ウィノナ・リトルハート(ウィニー・バークレー) 1979年に初来日。 ウェンディ・リヒター 1980年に初来日。 エステル・モレノ(チキータ・アステカ) 1990年に初参戦。モレノ4姉妹の次女。 エベリア・ペレス(エステラ・メリナ) 1975年に初来日。 エリザベス・チェイサー キャンディス・パーデュー 1985年に初来日。 ケイ・ノーブル 1969年に初来日。 ザ・ビースティー サブリナ 1982年に初来日。 サラ・リー サラ・デル・レイ 2005年に初参戦。 サンデー・スター サンディ・パーカー 1973年に初来日。 ジーン・アントン 1972年に初来日。 ジーン・オブライエン 1972年に初来日。 ジーン・カークランド 1986年に初来日。 ジェーン・シャーレル シェリー・マーテル 1982年に初来日。 シェリル・デイ ジャッキー・ウエスト 1973年に初来日。 シャロン・リー ジュディ・マーチン 1979年に初参戦。 ジョイス・グレーブル 1979年に初参戦。 シンティア・モレノ 1991年に初来日。モレノ4姉妹の三女。 スーザン・スター 1984年に初来日。 スーザン・セクストン 1975年に初来日。 チャベラ・ロメロ 1976年に初来日。 デスピナ・マンタガス 1984年に初来日。1986年にターザン後藤と結婚。 デズリー・ピーターセン 1985年に初来日。 デルタ・ダーン 1989年に初来日。 ドーン・マリー・ジョンストン 1985年に初来日。 スレイマ 1986年に初来日。 タニア(ラス・ゲリジェーラス) 1988年に初来日。 テリー・パワー 1992年に初参戦。 トレーシー・リチャード ネグロ・サルバヘ ネフタリ バーバラ・オーエンス パンテラ・スレーニャ(ラ・ギャラクティカ1号) 1977年に初来日。 バンビ・ボール ビッキー・ウィリアムス 1979年に初参戦。 ビビアン・バション 1976年に初来日。 ファビュラス・ムーラ 1979年に初参戦。 プリンセサ・ブランカ 1996年に初参戦。 プリンセス・ビクトリア 1982年に初来日。 ペギー・リー・レザー 1981年に初来日。 ベティ・ニコライ 1974年に初来日。1976年に佐藤昭雄と結婚。 ペニー・ミッチェル 1986年に初来日。 ベルベット・マッキンタイヤー 1982年に初来日。 マリー・バグノン 1970年に初来日。 ムヘル・サルバヘ メドゥーサ(アランドラ・ブレイズ) 1989年に初来日。 モンスター・リッパー 1979年にデビュー。 ユーコン・エリカ 1986年にパワーリフティング女子世界チャンピオンの触れ込みでデビュー。 ラ・ディアボリカ 1990年に初来日。 リーナ・マニャーニ レイナ・ガレゴス(ラ・ギャラクティカ2号) 1981年に初来日。 レイラニ・カイ 1979年に初参戦。 レジー・ベネット 1994年に初参戦。 レナ・ブレアー 1979年に初来日。 ローラ・ゴンザレス 1978年に初来日。 ローラ・ガルシャ ロッシー・モレノ 1986年に初来日。モレノ4姉妹の長女。
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来日外国人選手
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ゴージャス・マック アメリカネブラスカ州出身。本名はモンゴメリー・マックファーランド。1955年末の木村の復帰戦の相手となったが、都内で宝石強盗を働くという不祥事を起こして逮捕され、日本にて服役した。 ジェロニモ・クァネイド 出身地不明。日本に初めて参戦したインディアンレスラー。 ボブ・マンフリー アメリカ出身。 ラウル・ロメロ メキシコ出身。日本に初めて参戦した覆面レスラーである。「メキシコジュニアヘビー級選手権者」であり、ロメロ・スペシャルの創案者とされる(この二つには異説もある)。 ヤキ・ローチャ メキシコ出身。ヤキ族の末裔を名乗るインディアンレスラーだった。ラウル・ロメロと共に「中南米タッグ」の王座を保持していたとされる。 ラモン・ロモ メキシコ出身。
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来日外国人選手
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「全日本プロレス協会」の記事における「来日外国人選手」の解説
全日本プロレス協会の活動期は日本におけるプロレス興行の黎明期ということもあり、同団体と海外のプロレス団体との間に恒常的な招聘ルートは確立されていなかった。そのため、参戦した外国人選手について当時のパンフレット、または後年のプロレス雑誌における情報などを参照する限り、そのほとんどが駐留米軍人か、無名の格闘技経験者と考えられており、その中には単なる「力自慢の素人」も含まれる可能性が指摘されている(国際プロレス団の参戦外国人選手も同様)。ここでは、プロレス業界において現在でも知られている選手についてのみ記す。 P・Y・チャン アメリカではトージョー・ヤマモトとして知られる悪役レスラー。マネージャー、ブッカーとしても活動。上田馬之助、大仁田厚らの海外修行時にもマネージャーを務めた。 キラー・ユセフ(キラー・ユシフ、キラー・マイク・ユシフ) のちのユセフ・トルコ。日本プロレス、新日本プロレスに参加、レフェリーを務めた。後年、暴露本を出版し業界関係者の不興を買う。浜田幸一の秘書を務めた時期もある。俳優としても知られ、実兄にこれも俳優のオスマン・ユセフ。
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