大仁田厚
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大仁田 厚(おおにた あつし、1957年10月25日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、タレント、俳優。長崎県長崎市出身。元参議院議員(2001年 - 2007年)。YouTuber。身長181cm。弟(異父弟)は法学者の松原孝明。
注釈
- ^ これは、当時経営難だったジャパン女子プロレスの経営改善策として、男子レスラーとの合同興行を画策したことによるが、所属選手の猛反発を受け(ファンの多くもそれに同調した)、1試合のみで終っている。
- ^ 正確には大仁田の手元にあった全財産5万円に友人から借りた3万円を加えた合計8万円で「とりあえず(連絡用の)電話一本引いた」という(大仁田本人談)。この時の「友人」とはウォーリー山口で同時に山口は道場代わりの練習場所なども提供したという。
- ^ FMWで引退後の大仁田は、デスマッチによってできた額の傷を皮膚移植手術で整形し消すなど、プロレスとは一線を引く姿勢を見せていた。ファンの側も、体を酷使し(2度目の引退前、巡業先で過労などが原因で倒れて鹿児島の病院に緊急入院、危篤状態にまで至ったことがあった)やり尽くした末の引退という認識で、大仁田のプロレス復帰は絶対あり得ないと思われた。ところが暫く経つと、大仁田はプロレスマスコミに御意見番のような形で顔を出すようになり、しかも時が経つにつれ引退時に述べた「何度でも言う、俺は二度と復帰はしない」という前言を反故にするかのように、「もし俺が復帰したとしたら…」と、自分から「復帰」の二文字を口にし始めた。こうしてマスコミを巧みに誘導したうえ、プロレス会場、さらにFMWの会場にも現れた大仁田に対して「嘘つき」との声も飛んだが、ある時ついにリングに乱入してしまう。そして自身の矛盾について「俺は大嘘つきよ。だがお前らは今まで一度でも嘘をついたことはないのか!!」という論理で突破してしまった。これが一時期名乗ったニックネーム「ミスター・ライアー(嘘つき)」の所以である。この2度目の復帰戦はもちろん、ポーゴの引退試合と銘打たれていたが、結果的に大仁田復帰戦の色合いが濃くなってしまい、しかも当日の観衆が7923人(超満員札止め)と、当時のインディー団体の大会としても稀な盛況となったことが、その後も大仁田が引退と復帰を繰り返す後押しとなってしまう。
- ^ 全日時代の大仁田は、一時期Jrヘビー級のチャンピオンになった経緯はあるものの、団体のエースではなく一流のレスラーとは評価されていなかったため、「大仁田が成功したなら、自分も出来る」と錯覚させたことも理由のひとつに挙げられる。
出典
- ^ “大仁田厚、馬場イズムの見直し提言「明るさ楽しさ」もっと出せ 全日本プロレス創設50周年大会”. 日刊スポーツ (2022年9月19日). 2022年9月19日閲覧。
- ^ “大仁田厚ついに引退試合…7回の引退と復帰の歴史”. 日刊スポーツ (2017年10月31日). 2023年10月9日閲覧。
- ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P139(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d 「おれは鶴田さんが好きだった」涙のカリスマ・大仁田厚。その波乱万丈なレスラー人生【レスラーめし】 メシ通 2019-01-16(2020年1月6日閲覧)
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- ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P162(1986年、ベースボール・マガジン社)
- ^ 『洋泉社MOOK タモリ読本』洋泉社 2014年より小松政夫談
- ^ “大仁田厚“師匠”小松政夫さん追悼「怪我で苦しんでいる時に ご恩は一生忘れません」”. スポーツニッポン. (2020年12月11日)
- ^ “大仁田厚「悲報にがくぜん」青柳政司さん悼む「本人に会うまでは、さよならのツイートしません」”. 日刊スポーツ (2022年7月7日). 2022年7月8日閲覧。
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- ^ “大仁田が3年以内に新団体設立へ”. デイリースポーツ. (2014年12月16日)
- ^ “大仁田厚、来年10月に旧川崎球場で現役に幕引き 対戦相手に初代タイガーや小川直也を希望”. ORICON STYLE. (2016年11月30日) 2016年11月30日閲覧。
- ^ “ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!”. バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ “大仁田 手術成功「両ヒザに人工関節」”. 東京スポーツ(2019年2月26日). 2019年4月20日閲覧。
- ^ a b “大仁田厚、腹部大動脈瘤の闘病中であること公表…4月30日に緊急入院、5月9日手術へ”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年4月29日) 2023年4月29日閲覧。
- ^ “番組公式ホームページ”. 2021年11月27日閲覧。
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=90WXJ-kbeOw
- ^ “大仁田氏が会見 参院選出馬取りやめ政界引退”. スポーツ報知. (2007年6月23日). オリジナルの2008年3月20日時点におけるアーカイブ。 2014年3月5日閲覧。
- ^ “大仁田議員「乱痴気パーティー」 スキャンダル記事で政界引退?”. J-CASTニュース. (2007年6月25日) 2012年7月31日閲覧。
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- ^ “「200%で体当たり」“ファイアー”大仁田厚氏が千葉・袖ケ浦市長選出馬に意欲 プロレス興行で同地訪れ「どうにかできないのか」”. https://www.sankei.com/ (産経新聞). (2015年10月2日) 2015年10月30日閲覧。
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- ^ 保坂秀樹、袖ケ浦市議立候補! 会長のひとりごと
- ^ “【佐賀】松本氏が4選 神埼市長選”. 西日本新聞. (2018年4月16日) 2019年1月23日閲覧。
- ^ 『FLASH』(光文社)2014年4月29日号 102ページより
- ^ a b 『Gスピリッツ Vol.18』P10-11(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808661)
- ^ “「18日間危篤」で死亡確率70%…阪神ファンの道頓堀ダイブで大仁田厚の“瀕死エピソード”が再燃”. 女性自身. p. 2 (2023年9月15日). 2023年9月17日閲覧。
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