有栖川宮職仁親王とは? わかりやすく解説

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有栖川宮職仁親王

読み方ありすがわのみや よりひと しんのう

霊元天皇第十皇子。幼称を明宮有栖川宮継ぎ中務卿一品叙せられる。和歌好み、書をよくし歌道桃園後桜町二帝に仕える。関白近衛内前・尚実・貞建・家仁・典仁四親王准大臣勝胤・光胤・雅香等の和歌師範明和6年(1769)薨去57才。

有栖川宮職仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 07:13 UTC 版)

有栖川宮職仁親王(ありすがわのみや よりひとしんのう 正徳3年9月10日1713年10月28日) - 明和6年10月22日1769年11月19日))は、江戸時代皇族世襲親王家有栖川宮第5代当主。霊元法皇第17皇子。いわゆる有栖川流書道を創始した。享保元年(1716年)に、有栖川宮の第4代当主正仁親王が嗣子なく没したため、有栖川宮を相続した。享保11年(1726年)に親王宣下中務卿となる。寛延2年(1749年)5月に一品に叙せられる。霊元天皇の皇子としては兄尊賞法親王に次ぎ歌道に優れ、桃園後桜町後桃園の3天皇をはじめとして300名に伝授した。父から受け継いだ書道にも造詣が深く、有栖川流書道の創始者として知られる。




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