書院紙
書院紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 14:29 UTC 版)
『岐阜県史稿』によれば、二折、三折の美濃和紙があり、障子の格子幅に合わせてそれぞれ使用されていた。
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書院紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/30 08:19 UTC 版)
明障子は書院造様式によって普及し、「書院の明障子」といわれたことから、明障子に貼る紙は、書院紙と呼ばれるようになった。書院造では、障子の格子桟の寸法が地方によって異なるので、書院紙は全国ほとんどの紙郷で漉かれたが、産地周辺で消費され、市場で流通することが少なかった。ごく一部が書院紙として流通したが、『和漢三歳図絵(わかんさんさいずえ)』(寺島良安編 1713年)には、「濃州寺尾より出るものもっとも佳し。防州之に次ぎ、奥州岩城、野州、那須、芸州広島、また之に次ぐ。」とある。この他に、因幡、甲斐、肥後、土佐、信濃などで産した書院紙が市場で流通した。この中では、美濃国、甲斐、土佐の書院紙が、今日でも障子紙の産地として命脈を保っており、特に甲斐の市川三郷町で造られている市川和紙は全障子紙の40%を供給しており、日本最大の産地となっている。 『新選紙鑑(かみかがみ)』には、書院紙として美濃書院紙・美濃紋書院紙、安芸の諸口紙そして因幡書院紙をあげているが、中折紙、三つ折紙、大判紙なども書院紙として利用された。 明治初期の『諸国紙名録』には多くの紙に障子用として注記しているので、このころでも全国の各地でさまざまな地域の建具寸法に合わせた書院紙が漉かれ続けていたことが分かる。
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