景福宮再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
朝鮮本来の王宮である景福宮は文禄の役で焼失後270年間に渡って再建されないままとなっていた。憲宗の代で再建が計画されたものの、財政の逼迫から実現不可能となっていた。だが大院君は国家的権威の再建のため、先王の意思を受け継ぐという口実を掲げ、諫言を退けて計画を強行した。建設費8千万両とされる莫大な資金は、願納銭や特別税を課して強制徴収し、工事には連日数万人の庶民を動員し、人夫の為に俳優、歌手、妓生などを呼んで慰問した。しかし1866年3月、大規模な火災が起こり完成間近の景福宮は焼失してしまう。重臣達はそろって再建中止を提唱したが大院君は聞き入れず再々建を推進。都城4大門を通過する際に通行料を取り、庶民から寄付金を出させ、當百銭などの貨幣を鋳造して建設費を調達した。また各所の霊園の木を伐採するなどして強引に材木を調達した。巨額資金の収集に奔走する役人たちの間ではおびただしく不正が横行し、租税の横領や、不当な課税、売官売職などの貪官汚吏が蔓延り、當百銭は悪質貨幣になってしまった。
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