打開政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
景福宮再建による財政の逼迫のため、両班の特権を見直しを行った。約200年間免除されてきた政務を復活させ、一戸あたり二両を徴収し、さらに戸布制を施行し軍布二匹を徴収させた。両班は尊厳を害するとして反発したが、大院君はこれを無視して施行させた。これにより両班はもちろん、次第に国民全体が大院君の強引な政策に反発するようになる。また一方で大院君は国防強化を図り、金箕斗と姜潤に砲軍の育成、木炭蒸汽甲艦、水雷砲などの新兵器開発を指示した。ほかにも、西洋艦隊の銃弾を防ぐ為、綿でつくった背甲を開発したが、背甲は重く厚いので簡単に脱げないことなどの問題があった。改良型も開発されたが、通気性が悪く、銃弾が当たると発火してしまい、実用には到らなかった。また1860年代末から鶴羽造飛船と名づけた飛行船を軍器監に命じて開発させていた。これは大院君が見た西洋の熱気球に影響を受けたものでガチョウ、鶴の羽を集めて熱気球に接着させ、船が砲弾に耐えられるよう開発されたが、浮上がままならず船が水につくなどして失敗した。
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